虹色のやさしさ

この宇宙のあふれる優しさの中で、私に流れる煌めくいのちを全うできますように

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2012-07-30-Mon-01:04

生きなさい

生きなさい

あなたの人生を
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生きなさい

あなたの道を

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生きなさい

あなたの生が永遠に還る日まで

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私の子供たちよ

安心して生きなさい


(ほしのはらより・・大好きな五所神社の楠に寄り添って感じた言葉)


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かつてのこの日記に書いた時の詩につけた文章は
時々
私の現状や体から逃げたくなる、けれど、それをすべて抱きしめていきたい。

そんな文章を書いたと思います。



けれど、いや、違う、もう、逃げたくなるものなんてない。
もう、その経験はいらない。


この体で生きていること
それは
木が木として生きているように
私が私として生きていくこと。

同じいのちを
違う入れものの中で表現していくこと。

この木のように、生き、そして出会う日々や出会うものに
「安心して生きなさい」
と伝えられるくらいの、いのちの力、それが私なのだ。
この楠のように。
それが私のいのちなのだ。


同じ詩をこのブログで書いても、私自身は以前と変化しよう。
楠から感じたものを本当に自分自身のものにしよう。


負けないよ。

今生きているのだから。


愛して愛して生きてゆく。

いのちをおしみなく表現していく。
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2012-06-29-Fri-13:36

解放

Image791.jpg

どんなきらびやかな服も要らない

わたしのなかは 何より美しいから


どんな素晴らしい称賛も要らない

わたしはあらゆる 肯定そのものだから


どんな舗装された道も要らない

どの道も輝きが通ることに変わらないから


どんな安らいだ居場所も要らない

わたしはあらゆる居場所であり 宇宙そのものだから



わたしは
何もない

私は
何もなくて

ただ
愛が
愛として

在るだけ


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言葉に出せたこの詩の題をなんとしていいか自分でもわかりませんでした。

本当の本当の賛美のような。
言葉がみあたらなかった。


それでも開けていく感じで、解放にしました。
少しずつ、開け放っていく中で
結局、結局
開け放ってしまった先には
何もないとしかいいようがなくなります。

解放

すべてを解放すること
全部を降伏すること

降伏は
幸福なのかな。


今、ヨガはできませんが、だんだん、自分の心を見つめていく中で、
ヨガができるようになったときのことです。

ヨガを何ポーズがしていたとき、ヨガは、全面降伏だ、と感じました。


ああ、生きるってそういうことなのかな、と。
でも頭が、どうしてもそれを受け入れようとしなかった。



すべてを明け渡すということ。
すべてを宇宙に開け放つということ。

それは、もう、さんざんやってきた、自暴自棄のあきらめとは違って、
自分が消えてしまうな、苦しさや自分をふわふわさせてしまうのとは違って。

すべてを愛で明け渡す、見たいな感じ。



この詩ができたとき、
ふと、昔出会った詩を思い出しました。

福祉系のことを学んでいたときの教科書に書いてあったものです。

以前、ミクシィの方でアップしました。

その時も、自分の感じたことと連動したとはおもうのですが、
まだ、それほどピンときませんでした。

そして、ミクシィでは、同じ学校で学んだときのお父様が
とても素敵な施設の経営をされている友人が、

「自分もずっとずっと前から知っていた詩でした、とても深い。
まだこのすべてがわからないけれど、深い。」

というようなことをコメントくれました。

私も
「うん、深い、でもまだ、わからない。」
というようなことを答えたと思います。

入院した病院には、この以下の詩が壁に何か所か貼っていました。

病院には自由に書くノートがあり、

この詩を見て、
感じいるけれど、でも、病気は治りたい、と書かれている人もいました。

私もそうでした。
なんだかこの詩が、とても悲しく感じることもあったのです。
やっぱりそんなのいやだよ。って。
私がこの詩を読むと、私の負け惜しみみたいな気持ちになってしまうことすらありました。


先日、私の中で全部を開け放ったとき、解放され、
言葉にだし、そして、何日か後に、このニューヨーク大学の壁の詩を思い出しました。


なんだかすごいすごい熱いもので繋がった気がしました。

この患者さんの詩とようやく少し繋がれた気がしたのです。
神でも愛でも宇宙でもいい。
ただ、何かすべてに。
もう何も要らない。
何もないのだから。

そこがわたしでありすべてであるから。


すべてがすべてとして
生きていくだけ。

すべてが叶っている
心の中でいいあわらせないけれど、
ありとあらゆるすべてが。

叶う叶わないとか
そういう問題ではなく、
すべて叶っていた。

私の詩と、壁に書かれた言葉は違うけれど、
でも、私は
同じものをまだ少しだけのような気がしますが、
私の中で感じられたと思っています。


深い祝福と愛と美しさが
どうしようもなく湧きだして、この壁にかく、詩を作らせたのだと感じます。

感謝をこめて、
ここでまた日記に書かせてもらおうと思いました。

ありがとう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニューヨーク大学病院の壁に残された詩


大きなことを成しとげるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった
 
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして  
富みを求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
 
世の中の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ

2012-06-01-Fri-23:48

いつくしみ

いつくしみ
わたしの歩いてきた道は

わたしが選んできた道

神様が 一粒の優しさを わけてくださって

わたしのいのちがうまれたんだよ

わたしの歩く道は

神様の歩く道

神様が ひとすじの光を わけてくださって

わたしのひかりがうまれたんだよ

歩いてきた道が いばらのようで

刺がささって 痛かったのかもしれない

いつまでも消えない傷を 笑われて

とても悲しかったのかもしれない

刺をみて 傷をみて 悲しみをみて

そこには慈しみがあふれているから

わたしの道をすべてだきしめて

あなたの道をすべてだきしめて

神様の道をすべてだきしめて

(ほしのはらより)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私が昔出会った人で、この世的には、相手は犯罪をした人で、何人も女性を傷つけた人
がいます。
そして、その後の情報で
その人(Kさん)のかかわってきたことの深い痛みと、家族の希薄なかかわり構成を知りました。

私自身は、このことについては、いろいろと、大変だったけれど、
それほど深い傷にならなかったので、
何回か震えやパニックがその後あったくらいで、一年くらいで、抜けましたが、
それでも、いろいろとその件にまつわる人たちの心情を感じてしまったことは、
何度も私のもっているものと混じり、共鳴し、闇と共に出てきました。

それでも、どんどん出てくるたびに、
家に侵入され殺されそうになる夢から、
次第に、Kさんと手をつないでいる夢に変わったのです。

Kさんの強い憤りの手から、カサカサしていたけれど、やわらかい優しい手に。

その隣には、Kさんのお父さんがいました。
Kさんは家族に自分の気持ちを正直につたえ、のびのびと生きてこなかったのです。
家族も自分の保守のため、Kさんのことに向き合ってきませんでした。

でも夢の中では、少しずつ、KさんがKさんの心を取り戻してしました。

Kさんは私の右側の手でつないでいましたが、
私の左側の手には、私がずっと心にひっかかりを持っている人とをつないでいました。

その人は、私と手をつないでいる、というよりも、相手は恐怖で、私の手が折れて痛くなっているのに、
気付かないで、力いっぱい、つかんでいる、という感じです。

Kさんは、そんな私とその人を応援してくれている、という感じでした。

そのKさんの夢は定期的に何度もみてきました。
私がむきあって、最終的にゴールするまで、ゴールで待っていてくれる夢もありました。

実際には信じられません。
実際、目覚めて、起きてから、考えると、脂汗、冷や汗もの、のときもあります。
なんで、出てくるんだ?

と。

それでも、私は何度も、日々自分の中を見てきて、
最終的に、だいぶ前にKさんと向き合って、
その先に本当に深い深いいつくしみに出会いました。


本当は、わたしなんてあなたなんていない。
理屈じゃない。

ただあふれるいつくしみそのもの。

仮にあなたがいて、私がいるとすれば、
あなたはいつくしみだ。
あなたはいつくしみだ。
あなたはいつくしみだ。


私は涙でぐちゃぐちゃになるほど泣きました。
Kさんとひとつになりました。

世界はいつくしみだ。
何もない。
いつくしみそのものだ。

もうそこにはKさんも私もいない。

もう私の中にはKさんはいない、
Kさんをかんじると、同時に私であり、あなた、
そのすべては、いつくしみ。

あまりの深い優しさにふと気付けば、震えるように、自分自身が癒されて行きました。

この不思議をなんていえばいいのか、あまり傷が深くなかったから、
たどりついたのだと思うのですが、

私は、一日の中の一瞬のほんのほんのちょっとの時、
まっすぐに空を見たとき
木を見たとき
つらかったことを見つめ切った時(それまでがジタバタすることがよくありますが)
目の前を・・・見たとき。
自分という靄みたいなものから出て、それをダイレクトに感じます。

それは穏やかで、そしてしばらくたち、
衝撃で、突き上げるような胸の痛み(いやな痛みではない)に躍動します。
全身にエネルギーがほとばしるのです。


先日、見えなかったけれど、金冠日食の日に身内がいいました。
私自身も、毎日の浄化に加え、ものすごい浄化でしたが周りもそれっぽかったようです。

「すごくすごく憎しみをもっていた人がいたけれど、なんだか平気になった。
もう会っても全然平気かもしれない。」と

私もKさん自身に憎しみは最初からありませんでしたが、
心のカサカサした痛みがありました。
会う気にはなりませんでした。
でも、ずいぶん前から、会っても平気、そう思うのです。
だって、相手はいつも私の中に溶けているのだから。

これはただひとつの小さな小さな体験にすぎないけれど、

でも、

すべての靄から抜けたら
きっと最初からもうすでに、
いつくしみの世界が待っていると。

Kさんとのことは、違う人との過去世の記憶で、まえ、会っていたことを思い出しました。
どこかで、自分が引き寄せてしまったんか、いろいろ考えていたときもありました。
原因もあり結果もあるけれど、

でも、それも含めて、起きることが起きたのだと。

いつくしみの世界はそれすら手をだすことなく、
何も求めず、ただそこでいつも待っているのだと。

大丈夫。
大丈夫。

自分の来た道を、今日の道を、どうか抱きしめていきたいのです。

大事にしていきたいのです。
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